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論説5「究極の分別」 腰のある透き通った生きた麺を食べれば讃岐風かなと思う感性はあるが、神戸、大阪が腰のある麺を否定しているわけではなく、死体麺がよいと思っているわけではない。客も、うどん屋店主自身も。エッジのたった切れ味のある麺も全く違和感はないと思う。 今はないが神戸新開地には「びっくりうどん」という太うどんがあったし、また茹でたてを早く出すために細めうどんを出す店も古くからあった。また腰がある事を一つの看板にしている店もあったわけであり、そんなものは「讃岐」の絶対条件とは言われない。 讃岐の地においても全てが手打ち茹でたてを出すのではなく、機械麺、造り置きを出す所も結構あるだろ。 こんな部分が鑑みると益々讃岐と大阪系との分別は出来がたいわけである。 しかしもし両者に一線を引く方法が一つあるとするならば、出汁の取り方に「イリコ」を使うかどうかの問題がある。勿論イリコのみで出汁をとる店など讃岐といえど殆どないとは思うが(麺通団の出汁はイリコオンリーか?)、少しでも使うかどうかは分別のつけどころかと思う。 東京新宿一丁目の「さぬきや」は美味しい出汁だがイリコを使用。 神楽坂の「はなびし茶屋」もイリコ入りとみた。 十条「すみた」も上品な出汁だがイリコ使用。 しかし讃岐系と言われながらも神戸「な也」「ぶっかけ亭」「ときわ」「民藝」などイリコを用いておらず、ある意味では大阪系の関西出汁である。 讃岐系と雖も関西出汁が美味い事を認めているという事でもあり、これらは「あつかけうどん」系の立場からは讃岐というより正に関西うどんである(ただサヌキの看板を上げているかどうかの問題はあるが)。大阪系はそれに加え濃厚な旨味や甘味があるように感じられるが、そこにはそれほど明確な区別があるわけではない。 神戸や大阪の地で讃岐うどんの看板を上げている店が異常に多い事は問題かと思うが、その内情は一部を除いて決して讃岐そのものではないと感じられる。という事になると……。 より深い考察は次の機会に。
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