大日商店街を通って三軒ほどたこ焼き屋を巡って、存外この地帯が神戸下町式を踏襲していたので感慨を新たにした。「ドレミ」が出汁式を止めてしまったのは残念であるが、この地帯では神戸下町式の店が多かったのだろう。「はせ」はほぼ「神戸下町たこ焼き」と考えて良いと思う。
しかし「たこ十」は少し定義外れがある。とはいうものの、定義した@AB以外のものは正に明石式と大阪式の中間の方式であり、全て「神戸たこ焼き」として捉える事も一つの考え方として良いのではないかと思う。
その中に究極の神戸式、丼に出汁をぶっかけ、ソースを掛ける究極の「神戸下町たこ焼き」があるのだいう風に捉えたい。だからD以降は神戸式と捉える事も一つの考え方である。ただCは少し問題で、これを認めると数の多さの問題もあり、蒐集がつかなくなる可能性がある。またAとの分別がたこ焼き玉の差異のみとなり、分別が難しくなる。明石焼きとたこ焼きは確かに違うが、しかし決定的な差異はないともいえるのだから。
ともかく一方で究極の「神戸下町たこ焼き」を求めながら、D以降の店もある程度認め、時に応じて紹介したいと思う者である。
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