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本小説は昔雑誌に連載する「武術秘伝小説」の中の第十二話として書かれたもので、後に『武術秘伝小説第一巻』として纏められ刊行された小説本の中に収録されています。特別に本項に掲載します。

 

秘伝小説第十二話「相傳の技」

 

 

 江戸の自宅を兼ねた道場、海内無双流平法指南所の門前にその初老の武士が立つたおり、何も知らない私は丁度旦那様の食事の世話をなし、また味つけがなつとらんとお小言を頂戴してゐる所でございました。玄関の来訪の声に私は救ひの神と、さつと玄関に向かひ応答したのでございます。玄関に立つてゐたのは歳の頃なら五十歳前後の初老の武士でありました。背は低く、やゝ小太りではありましたが、がつちりした体格で腕は丸太ん棒の如くでございました。話を聞くとその武士は意外にも、道場主であり私の旦那様である松矢権三郎の叔父であると言ふので御座います。驚いた私は早速、旦那様に告げると夫は眼を輝かして食事を中断して席を立ち、即座にその武士を迎へ入れたのでございます。しかも旦那様は叔父に対して先生よくぞいらつしやつて頂きましたと叔父を歓待したのでございます。と言ふ事は……私もやつと思ひあたつた事がございました。さうだ……此の人は旦那様の御国で健在であると言ふ旦那様の叔父であり、無双流剣術の御師匠様ではありませんか。
 旦那様は私を叔父上様に紹介し、また私に対しても、自己の叔父であり剱の師匠である事を告げ、その夜の歓迎の準備を私に命じたのでございます。
 確かに以前、旦那様が何時か昔語りに私に話した事がありました。旦那様を幼少のおりより鍛へ上げ、無双流を伝授して、江戸での指南の免状を許したのは明石の国で無双流第九世を継承する叔父の神面千手斎信道その人であるのでございました。
 三年ぶりの師弟の対面であり、その日は私の手料理でお神酒を交はしながらお二人は古交を温め、懐古談義に華が咲いたのでございます。
 江戸詰めの旦那様と私が所帯を持つてから二年経ちますが、結婚以来師匠の初めての来訪でありました。私は戸惑ひ、やゝびくびくしながらも何とか接待に努めましたが、二人の話を聞いてゐると、旦那様が師匠を書面で招待したと言ふ事であつたと言ふ事の様でございました。
 「権三郎も立派になつて、偉い別嬪の御嫁はんをもろたんやなあー。手紙見たけど随分幸せさうやないか」神面師匠は柔らかい上方言葉で私を褒めてくれました。
 「いえ、未だ幼いもので、何かと行き届きません。また料理も江戸風でお口に合はないかと思ひますが……」
 「いやそんなことないけど、相州の昨夜の宿では納豆とか言ふけつたいな腐つた豆を食べさせられかけて往生したわ」
 「家の嫁は下総の出身で納豆を食べますが、私も納豆はどうもいけません」旦那様も納豆を朝食に出すと怒りますので私は隠れて食べてゐるのが現状です。
 「権三郎も随分江戸に慣れて殆ど江戸言葉になつてしもたみたいやなあー。江戸に道場を開いてから五年になるかいな……。それで手紙を読ませて貰ろたけど、大分自信が付いたと言ふ事やな」
 「未熟ですが、修行はしてゐるつもりです。私がおりをみて国に帰る予定でありましたが、お返事戴きまして、師匠の方から江戸見物がてらにいらつしやると言ふ事で、何時になるか心待ちにしておりました」
 「では明日にでも早速お手並み拝見といこか。随分楽しみな事や」
 話を聞いて、私は大体の様子を理解できてきました。
 旦那様は国に帰る度に御師匠様からそれなりの口傳、秘伝を受け、極意相傳を許されて来てゐたのでございますが、最後の口傳は師匠と勝負して三本の内一本でも打ち込めたら授けると言ふ約束になつてゐると言ふ事でございました。叔父である師匠としては旦那様の奮起を期待しての事でもございませうが、旦那様がその為のみかどうかは別にしても所帯を持つてからも確かに深い精進を積んで来ておられました。その事を最も知つてゐるのは私でございます。門弟が稽古を終へて帰つてからも一人黙々と遅くまで大木刀を振る旦那様でございました。
 しかし旦那様の御師匠様の腕が如何に非凡であるかと言ふ事を私は何回か聞かされた事がありました。
 私はお二人の話を聞いてゐてそれを思ひ出してゐたのでございます。藩の剣術指南役を勤める千手斎は高木流拳法と九鬼神流棒術の達人でもあり、海内無双流の剱を使はしては正に海内無双と称され、他流試合でも一度も不覚を取つた事がないと言ふ事でございます。相手に一触もさせずに僅かな躰捌きで面を極めてしまう必殺面打ちの妙技は正に名人芸と畏敬され、伝説となつてゐると言ひます。国の筆頭師範であつた旦那様もとうとう師匠に一本も入れる事が出来なかつたと言ふことでございました。
 しかし旦那様も江戸で道場を開いてから、来りよる道場嵐と勝負して未だ一度も遅れをとつた事はありません。其だけの精進を積んでゐるのであり、ある程度の自信が出来たからこそ、叔父に手紙を出し、御師匠様の来訪を望み、極意伝授を望んだのであらうかと思ひます。
 権三郎様頑張つて下さい……。私は酌を成しながら心で叫び、また実際に旦那様に酌を成しながら小声で励ましたのでございます。
 明日の検証を控へて、酒は程々に、その日は間もなくお開きとなり、叔父の床を用意して泊まつて戴く事となりました。しかし本当にどきどき致します。明日はどういう結果となるのでございませうか。

 試合は門弟たちが来る前、翌日昼過ぎに行はれる事となりました。当時の試合は面と小手を付け、袋撓で以て行はれたもので、ここではストーリー上の都合と歴史的興味から私自身が神憑りとなり、時代を超へた解説を少しなして置く事といたしませう。
 当時では未だ現代的な四ツ割り竹刀は現れておりません。それが普遍的になるのは此の時代から更に二十数年後、神陰流の豪傑、大石進が五尺の四ツ割り竹刀で江戸を荒し回つて以来であり、また突きや胴打ちを殆どしない今の時代では胴の防具も殆ど必要ないのでございます。因みに大石旋風のおりは当道場も真先に荒らされ、泣く泣く多額の草鞋銭を払つて看板を買ひ戻す事になるのでございます。しかし、あれは剱技ではなく五尺の器械に破れたのみなんだとぶつぶつ旦那様も後で文句を言うことになるのですが(そして酒を呑んで私に八つ当たりをして暴力まで振るふのです)……それはまた大分先の話でございます(それまでに私も少し考へねばならぬかもしれません)。

 袋撓は大層昔から試合や形の稽古に用ゐられてきたもので三尺三寸の刀と変はらぬ長さのものが当時用ゐられておりました。竹刀の長さとして三尺八寸が常寸となるのは大石旋風の後、長竹刀が流行、その後下総守様が講武所で基準を定めてからでございます。

 神憑りから解けて、お二人の対決に話をもどしませう。
 お二人は防具を付けて袋撓で向かひ合ひ、暫くは氣のやりとりをなしておりました。構へは上段から中段、下段、左右脇構へと、五段の構へを融通無碍に使ひ分け、氣の勝負を続けるのでございます。私自身も幼少から天真正諸刃流を学んでおり、剣術の解説はいささか出来るつもりでございますから暫しお任せ下さい。対決と称しても追ふ者と追はれる者の差異は剱技に必ず現れるものでございます。御師匠様から一本を取らねばならぬ旦那様は御師匠様の氣の合間を剱で間探りますが、流石に御師匠様は霞十字の術技で最初から見事に旦那様の剱氣を抑へて行きます。これは新陰流での手字手裏剱と言ふ教へと同じ極意でございます。御師匠様は既に道に達した方ですから、構へから強さも剱氣も消し、それこそ見事な合氣の状態をつくり出してゐます。今の儘では事を起こした方が負けです。打ち込んだ者がその打ち込んだ力と同じ力を完全に返され、自己の強さで自己が破れると言ふ危険な状態であるのです。其処には強さ弱さと言ふものが消へてしまつた確かに無の状態であると云へませう。しかしそれでは勝負を決する事は出来ず、御師匠様の不戦勝となつてしまゐますので旦那様は何とかその合氣、合ひ抜けの場を越へねばならないのです。
 しかし理屈でどうなるものでも有りません。とにかく打ち込まなければ話になりません。旦那様は様子を伺ひつゝもやがて気合を発して御師匠様に打ち込んだのでございます。
 それは確かに見事な激しくも正確な面打ちでございましたが、師匠は難無くそれを擦り上げ、旦那様に見事に面を入れてしまいました。それは確かに法にかなつた名人の芸でございました。一本目はかうして鮮やかに取られてしまつたのでございます。
 氣を取り直しての二本目でございますが、御師匠様の合氣を破らない限り旦那様の勝利はないのでございます。その方法論は自己が動いて敵の予測を狂はせて、氣の間隙をつくり出すしかしかたがありません。その駆け引きこそが真の剣術勝負であり、それは正に心の駆け引きであり、剣術は心術なりと言われる一端でもあるのでございます。次には旦那様は無構へにて突き進みます。御師匠様に剱路を読まれない為の方策でなのでございませう。間合ひに近づき、旦那様は地擦りの剱を背後に回し、即座に上段から面打ちを加へますが、御師匠はそれに応じ、霞剱で十字に上段で留め様と待ち構へます。しかし旦那様は十字に留められる一瞬前に刀路を止め、躰を沈めて師匠の脚をなぎ払つたのでございます。氣の流れを急変し、合氣を破る一手として見事な旦那様の一閃であつたのであり、それで勝負がつく筈でございました。さう、普通の剱客であつたなら一溜まりも無かつたでございませう。
 しかし・です。なんと師匠は脚をなぎ払はれた瞬間ひらりと宙に舞ひ、その瞬間旦那様の面を強か打ち降したのでございます。落下の勢いとあいまつてまたしても旦那様は御師匠様に見事に面を取られてしまつたのでございます。やはり段違ひの実力差に旦那様の意気消沈は真に気の毒な位でございました。これでは最後の勝負も覚束ない程でございます。旦那様はそれでも最後には合氣の状態で剱を十字に合はせて師匠に打ち込むのでございますが、即座に剱で撥ね飛ばされ、それを何度か繰り返しました。その度の師匠の攻撃を必死で躱すのが精一杯であり、形勢は真に不利と言へるでございませう。
 ついには師匠に大きく撥ね飛ばされ嵌め板にぶつかり、姿勢も完全に崩れ、防御も殆ど侭ならぬならぬほどです。これで師匠の最後の一閃で三本勝負は完全に付いてしまふ事でございませう。私はおろおろと目を覆ふが如くの心境でございました。しかし其までの試合の流れが旦那様の計算付くであったとしたら如何でせうか。それは真に凄い事ですが、それが証拠に何と次の一瞬、御師匠様の留めの一閃に旦那様は崩れた位置から強い脚力で空中にて転回し、剱が車輪の如く空を廻つて御師匠様の横面を見事一撃したではありませんか。
 やりました。確かに旦那様は叔父上から一本を取ったのでございます。
 「お見事や、権三郎、確かに今のは少し軽いけどもろてしもた。お前の勝ちやな」御師匠様は面袍を取り莞爾と笑つて認めてくれました。
 「やう修行したなあー。最初に袋撓を合はせた時、本当に強やうなつたといふ事がやうわかつたのや」
 「いえ、やはり先生の剱はいつかな衰へておらず、自己の未熟を改めて思ひ知らされました」
 「いや、それは追ふもんと追はれるもんの立場の差や。逆に今のお前から儂が追ふもんとして一本とらなあかんとしたら、もつと下手な試合をしたかもわからへん。しかしそれだけの合氣と心の駆け引きが出来るんならほんに海内無双流の皆傳や。江戸で無双流の次代を継いで貰ふのに何の故障もあれへんやろ」
 「それでは先生、最後の秘伝を相傳して戴ける訳ですね。私は……私は江戸でその事だけが辛くも切なくも悶々とした日々をおくつておりました」
 その為に私自身もかなりとばつちりを受けて来たのですが、これで私自身も救はれた思ひでございました。
 「極意相傳、それは伝授しやうと思えば三年前でも出来ん事や無かつた。しかしお前さんの精進を思て、儂との勝負を条件として未来の精進を促したんや。しかし其処まで到れば結構な事や。本日こそ三年前に伝授しなかつた極意を教へるわな」
 「有り難うございます……」
 その日、すぐ後で門人達が訪れ、その日の稽古を終はつた後、その夜、いよいよ極意相傳が行はれる事となつたのでございます。
 「それではメン打ちの極意からやが、材料は揃てるんやろな」
 「はい、上州産の上質なものです。他も色々自己研究しましたから一通り揃つてゐると思ひます。」
 「薄口醤油に白ムラサキ、昆布、鰹、煮干し、味醂……なんや煮干しはともかく鰹は余り上物やないやないか。儂の流儀の作り方もそら煮干しをつかはんでも無いけど、それは極一部や。煮干しで出汁とるんは讃岐やろ。上方はあくまで良質の鰹と昆布で勝負するんや。讃岐はメン打ちのやり方は確かにやうできとるけど出汁は煮干しや。ジャコで鰹に勝と思んが厚かましいとちやうか。えいもんを作ろ思たらまずは材料をやう吟味せんとあかん。千代さんもやう覚へときや」
 材料を市場で購入して来た私が怒られてしまいました。
 「江戸に出てきて饂飩屋がないので随分困りました。蕎麦屋に入つて、蕎麦屋は蕎麦だと思つて狸を注文したら蕎麦かうどんか聞いてきよるんですわ。『狸言ふたら蕎麦に決まとるやろ』と言ふたら変な顔して持つてきた思たらなんとこれが『天カス蕎麦』なんですわ。これには驚きました。それも出てきたもんも葱は捨てる白いとこばつかり使てるし、出汁ではなく醤油湯に蕎麦が入つてゐるんです」旦那様も興奮して来て段々上方言葉が混じりつゝありました。
 「旦那様、それは別に醤油湯ではなく、銚子の濃い口醤油を使ひますから色は濃いですが、江戸蕎麦も十分出汁は効いてゐるんです」
 「千代は何ゆうとんや。出汁が効いてないから醤油効かせて誤魔化してゐるんやないか。そんな香りもないもんが美味しい訳あれへんやろ」私は 「お前はアホか」と怒られて頭を小突かれました。こうなると旦那様も手の付けやうが有りません。余り逆らはないのが利口と言ふものでございます。
 「江戸のもんは上方の微細な味覚の差なんかわかれへんのやろ、全ての文化は上方からや。剱もさうやし料理もや、江戸の高級料亭の板前は皆上方で修行せなならんと言ふのはその証拠や。上方は日本の中心や。千代さんも上方の出汁の出し方の極意をやう勉強せなあかん。儂がゐる間に十分にしこんだるさかいなあー」
 「よろしゆう頼みます。こいつは(『こいつは』はないだろ)下総の田舎もんですから田舎料理しか出来ませんので十分のお仕込みの程をお願ひします」私の頭を小突いて首根つ子を抑へて無理矢理頭を下げさせられました(バカヤロー後で覚へてろ)。
 「江戸でも中々上方に学んで新しい文化を築きつゝあり、住み易い事は住みやすいけど、食文化は原始文化で、江戸勤番になつてから毎日の食事の不味さには参りましたわ。色々自分でも研究したけど、上方の饂飩はどうしても再現できんで困つてました」
 「儂は剱は勿論やが、饂飩を打つても海内無双やで。上方の料亭のもんが儂の庵に学びに来る位やからな。剱の技は既にお前に全て伝授してあるから、これからは家の上方饂飩の秘伝を徹底的に教へたる。それで江戸で上方饂飩屋を開いたら道場経営より儲かるかも知れへんなあー。千代さんもきばらなあんかでー」
 大いに意気を上げてゐる二人をみて、その時、私はやゝ愛想がつきかけ、早めに実家に帰る方が賢明かしらんと本気で考へてゐたのでございました。

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