いくつかの店で神戸たこ焼きを食べたが、どれが神戸たこ焼きの古伝であったのか未だわからない。四十年前の記憶を辿ると出汁はもっと多め、皮は固めだったように思う。未だイリコ粉、カツオ粉かけの店がないのがやや不満である。多分いまよりも卵は高價なものであり、それほどふんだんに使ってはいなかったのではなかろうか。勿論それが良いとも悪いともいえない。しかしツケたこ焼きである明石焼きが卵をふんだんに使った柔らかめであるのと対比して卵を余り使えないので出汁をふんだんに使ったと考察できる。そして出汁の中でもタコ焼きの形はいまほど崩れていなかったように思う。勿論これも遠い記憶の曖昧な所であるが、しかしカケたこ焼きであるにせよ。形がすぐに壊れるようではたこ焼きの意味合いが薄いのではないかと感じられる。好みの問題もあり、一概にはいえないけれど。またソース無しの立場は少し神戸たこ焼きの独自性からみると明石系に近くなり、やはり選択であるにせソースは揃えてほしいと思う。
大阪のタコ焼き屋を梅田で覗いてみると碗にタコ焼きを入れ、それに出汁をかけたスタイルを「明石焼き風タコ焼き」として売っている。となると神戸タコ焼きとの分別がつきにくくなり、神戸タコ焼きの定義がより難しくなる。
勿論タコ焼きと玉子焼きとの差異はあるが、現代タコ焼きにもある程度玉子は遣われているしそれは成分的な程度の問題となり、ややこしい事となるだろう。ソースかけを必須とすべきかどうかはいま少し考えてみたい。
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