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神戸古傳うどんの探求と復活 幻の神戸上方うどんの世界
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神戸タコ焼きの世界
歴史編
上方うどんの名店
最終結論22/12/25
東京のうどん屋
 
 
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チャンネル桜
幻の神戸上方の世界

今から四十年ほど昔の話しである。我は神戸に住し(兵庫区西出町。神戸駅から徒歩十分ほど)、当然の事ながら当時は神戸の食べ物を食べていた。勿論殆ど多くは家庭の食事であった事は勿論であるが、外食としては神戸のタコ焼きかうどんを多く食した。

タコ焼きに関しても現在の東京、京都、大阪のものとは全く違う驚くべきものがあったが、この点を言うと余りにもややこしくなるのでタコ焼き論は省略する(東京、京都その他のタコ焼きなど我は馬鹿馬鹿しくて食べない。だから何十年もタコ焼きは殆ど食べていない)。

ちなみに我は神戸のお好み焼きや神戸牛は嫌いである。

という事で残った神戸うどんに関してであるが、多く食べる店は二軒あり、シノダ(きつねうどん)は一方が当時六十円、一方が四十円から五十円であった(時期の推移で値上がりしたわけである)。

両者の本質をいえば六十円の店が圧倒的に美味しく、四十円の店がかなり落ちた。しかし四十円の店の方が近く、また安価なのでここで食べる事も無きにしもあらずであったかと思う。特に四十円店は出前をしてくれたのでここで家が頼んで我もお相伴に預かる事が多かったのである。

今から考えるとこの六十円の店は圧倒的に美味かったと思う。店の名は「ハッピー」と言ったと思う。勿論此処が最高唯一と言うわけでは無く、同等の店は幾つかあり、記憶によると長田商店街にも同じくらい美味しい店があった。店名は失念。

その他、元町の「力餅」などもある程度の味を持った店であったかと思う。ただここもある程度であって超絶的な美味さと言う程ではない。

ともあれ青年になって東京にきて、既に三十年が経過し、寧ろ東京生活が長く、既に我もあか抜けし、完全に東京化されてチャッテ、我のしゃべくりを聞いても誰も関西出身だとはわからへん様になてると自分でも思う。

 

衝撃

それはともかく、最初の頃、東京に住して東京のうどん蕎麦の不味さには正直ひっくり返り、これが人間の食べるものかと疑った。特に当時の立ち食い蕎麦は不味かった。

勿論それは文化の違いによる慣れの問題もあり(それでも当時の立ち食い蕎麦は不味く、当時と同じような店も未だある程度あるようである※)、今では東京蕎麦の美味しさも分かるし、東京の他の食べ物の良さも分かる。また東京うどんはどうかとは思うが、所謂武蔵野うどんにはそれなりの(次元の違った)美味しさがある事も承知している所である。

特に近年は東京の立ち食い系の蕎麦などでもかなり生蕎麦、湯で立てに拘る店も出来てきた所であり、それらの店はある程度の美味しさはあると認める所ではある。

しかしそれはそれで認めるとしても飽くまで神戸のうどんとは次元の違う、別の食べ物として認めると言う事であり、神戸うどんに変わるものとして東京のうどん蕎麦があるわけではない。

 

※ 現在でもビニール袋から麺を出してあっためるだけとだという店も結構あり、先般たまたま立ち寄った店がそれであったのでテーブルをひっくり返りたくなったが、しかし我もある程度空腹であり、また大人であるのでその様な事はせず、二度と近寄らないだけである。

 

及第点

東京である程度のレベルの関西うどん蕎麦を食べようとすると東京でも「杵屋」「家族亭」などがある。これらは関西でもそれなりの名の通った店であり、ある程度の美味しさはあり、その価値はある程度認める所である。

しかしながら「杵屋」「家族亭」などは(かつての)関西うどんのレベルから考えると及第点であり、言わば六十点くらいの存在である。昔神戸で食べた超絶的な最高点のうどん屋の味にはかなり遠いのではないかと思うのである。

 

三国一

しかしながら東京で上方うどんと言う問題を考えると、考えてみれば日本で東京、特に我の住している新宿ほど日本、そして世界の食文化が集結している地帯はないのである。まず東京には全国うどんを色々揃えて出している「三国一」があり、その中に「難波うどん」がある。

これは二度ほど食してみたが、なるほど難波うどんの味、その特質を確かにある程度忠実に写してはいた。だからこの点別に看板に偽りがあるわけではないが、しかし文化の言うものは決して一面的なものではなく、巨大文化のそれぞれの局面が味わい深く、またその最高峰の部分は何処に国にも決して移しようのないものであると思う。

これは他の色々な文化伝にもいえる事ではなかろうか。

現在讃岐うどんがブームで各地に讃岐うどん屋が出来、東京でもすごいものがあり、それぞれある程度のレベルは持っているとは思うが、しかし各文化圏の最高峰の部分にはどうしても秘伝の部分があり、層の厚さの問題もあり、やはり別地域では限界がある事も事実である。実際的にいえば上方うどんの最高峰の部分は東京には存在しないと思う。しかし我が熱望して止まないのはこの最高峰の部分なのである(これは値段が最高峰と言う事では勿論なく、寧ろ逆の事が多い。値段ばかりとられてがっかりする事が多いのである)。

 

消失

よってこそ東京に出てからも帰る度に神戸うどんを食べたが、年に一度か、それも帰らない事もあり、また他の付き合いでうどん所ではないことも多かった。そのうち神戸で何処そこが美味しいと思っていた店も次第に検索出来難くなくなり、子供のときに行っていた例の「ハッピーうどん屋」も何時しか消失してしまった。そしてここで驚くべき事が起こってしまったのである。

 

平成七年

それは今から十二年程前の話し。平成七年に阪神大震災が起こり我の実家も崩壊し、當り一体が焼け野原となってしまったのである。

このことに関しては多くの体験談が無きにしも非ずであり、また我の家族の流転の問題も含めて多くの語れる事があるが、それは余りにもある過ぎるし、そしてこのHPにおいて語るべきシュツェーションでもないように思われるので多くをハショる。要するに昔の美味しいうどん屋はこれによってかなりつぶれ、そして我の狭い情報の糸が殆ど緒切れてしまったと言う事なのである。実際問題このおりは正にうどん屋所の騒ぎではなかった。

 

代替え品

色々理由があるが、ともかく神戸の美味しい関西うどんを殆ど食べる事が出来ず、東京のチェーン点も物足りないとした立場に置いて、神戸うどんの代替え品として讃岐うどんは東京で食す事が多くなった。

新宿六丁目の「●●屋」も結構出汁は上手いし、飯田橋の「サヌキ茶屋」(現在閉店)もそれなりの美味さである。

 

百円うどん

讃岐うどんに関しては知り合いに詳しい者があり、十条のスミタや新宿の一滴八銭屋なども紹介頂いた(一滴八銭屋は一度食したが、スミタは未だ行っていない)。

また讃岐百円うどんが東京に進出し、数年前に渋谷に出来た時は衝撃的であったが、新宿にも出来ないかと思っていたらそれほどの歳月を経ずして新宿に一番多く出来たのは驚きであった。一時は多くの店が出て、特に新大久保辺に出来た「トクトクうどん」「どんどんうどん」は中々安くて美味しく、特に「どんどんうどん」は中々の出汁の味であったかと思う。しかしその美味しさはともかく、立地条件の問題もあり、多く出来た百円うどんもかなり淘汰された今は「花○うどん」が殆どとなっている。この店は大変に安く、また近くにあるので我も時々利用する事も多い。味もそこそこの美味しさであると思う(ただつぶれた「どんどんうどん」「トクトクうどん」の方が出汁の美味さは上であったと思うのだが)。

 

麺通団

讃岐うどんと言うものを多くの書籍を通じて紹介した「麺通団」がプロディースした店が西新宿に出来た。全く東京、新宿とは何でもある場所である。

此処は近いので時々よるが、確かに中々のよい味である。「舌に焼きつくイリコだし」は中々の出来であり、それも蛇口式で好きなだけ注げると言う大阪神戸にはみられない方式である。殆どぶっかけ系は食べない我ではあったが、ここではぶっかけ「明太醤油うどん」を食する事が多い。

その他カシワ天ぷらやカヤクご飯おにぎりなども中々の美味しさである。

値段もリーズナブルで中々よい店である。だだ問題はやはり上方うどんとは根本的に味が違うと言うことだろうか。

そして麺と出汁の絶妙の絡みと言う立場からいえば中々に満点とはいえないように思う。

出汁と麺との絡みがいま一つなので、「かけうどん」系は少し敬遠していると言う事があるようである。

いま一ついえば武蔵野うどんや黒うどんが持つ小麦粉の美味しさ、味わいと言う点では少し劣るように思う。少し精白しすぎであるのかも知れない。

 

黒うどん

東京にはその他には色々うどん屋があり、例えば新宿の黒うどん(味噌煮込みであるから名古屋系だろうか)なども中々の美味しさである。府中駅前の武蔵野うどんも地粉の美味しさがあり、中々に美味しいうどんである。大久保にある稲庭うどんもそれなりの美味しさを持っていると思う。

目黒や神楽坂にある京風うどんも中々の美味しさを持っている(この両店は最も上方うどんに近い味をもっている)。

しかしそれはそれで良いとしても全て上方うどんではないと言う根本的な問題があり、我に取ってやはり上方うどん、その至上最上級のうどんは幻の存在である。

 

香り

何十年もの間神戸に帰るたびにうどんをそれなりに食したが、年代と共に美味しさが低くなっているようにどうも感じられた。これは我の氣のせいなのか、それとも上方うどんの味と言うものが思い出のなかで膨らみすぎた為なのか、それは分からない。しかし思うに昔のうどん屋はもっともっと店自体に出汁の香りが充満していたと思うのであるが、現在それが殆ど感じられないのが真に不思議であり、どこかにからくりがある考えられる。

その原因は専門家でない我には分からないが、これは各うどん店の出汁の製造法に様々な変化があった為ではなかろうか。

まず考えられる事は各チェーン店では各店で出汁を製造せず、元店で造ったものを各店に送って遣っている事が一つ考えられる。また製造材料も天然材料オンリーではなく、かなり、近代的な調味料が入って来ているのではあるまいか。たとい天然材料と雖も国産ではなく、殆ど輸入された外国製品が多くなっているのではあるまいか。

小麦などは正にそれだろう。現代の小麦は漂白しすぎて小麦本来の味わいを失ってしまってきいる。

これらの問題は各材料の製造法全てに関わる事であり、醤油も味醂も砂糖も全て近代的なごまかし手法ばかりとなり、利便性は上がったが質は確実に落ちているのではあるまいか。実際無農薬丸大豆を用い、昔どおりの製法を護った醤油など既に自然食品屋にしか置いてないし、昔どおりの本格味醂など造っている所は三河か岐阜の各一軒づつ位である。このような本物ばかり遣っている店など何処にもなく、こんな本物を遣っていては店の経営など全く成り立たない。

そしていま一ついえば各店の秘伝が次代に移らず、どんどん失伝してしまっている事も考えられる。

 

転機

東京新宿在住の為、神戸のうどんにも接する機会が少なかったが、ここに転機がきて、実家を出てから三十年振りに神戸に訪れる機会が本当に多くなった。事情により、現在は週に一度は神戸入りをしている。ここで神戸うどんに多く接する機会が多くなってのである。

しかし感じた事は神戸上方うどんの衰退ぶりであり、昔のような超絶的な店は本当に少なく殆ど出会う事がないと言う事実である。

かつて存在したうどん造り名人の技は殆ど失伝してしまったか、もしくは腕はあっても現代社会では本物の材料自体が存在しておらず、必然的に昔どおりのうどんなど造りようがなくなっていると言うことではなかろうか。

 

神戸うどんは讃岐うどん?

しかし全ての全てが駄目なのだろうか? 未だ昔どおりの味を護っている店はないのだろうか? 少しネットで調べてみた。しかし最も驚いた事に兵庫や神戸の美味しいうどんとして紹介されているのが殆ど何と讃岐うどん屋なのである! 実際紹介されたうどん屋は結構美味しく、素晴らしい店である事は認める。しかしそれは飽くまで讃岐うどんである事は紛れもない事実であり、神戸は讃岐ではなく、讃岐にはない独自の文化を持った地域であると我は思うのであり、それが当HPの追求する所なのである。

 

食文化の消失

何故ならば神戸や大阪のうどんの立場からは東京うどん蕎麦も讃岐うどんも認める所ではなく、より下の存在として捉える意識がかつては存在したはずであり、それが神戸うどんとして讃岐うどんが紹介される事は如何なものかと思うのである。これでは文化の分別が出来なくなり、一つの優れた食文化の崩壊にも繋がる事であり、上方うどんと讃岐うどんを混同する事はできるだけ避けてゆきたいと思う。

 

 

神戸うどんと大阪うどん

少し言葉遣いを分別しておこう。

「神戸うどん」と言う存在は多分なく、それは「大阪うどん」と殆ど同じ感じのうどん文化だろう。よって当HPとしても「大阪うどん」として分類としては良いのであるが、我が神戸生まれと言う事を鑑みて、やはり神戸を中心に探求する必要があり、よって全体的に「上方うどん」として捉える事としたいと思うのである。

 

究極の麺類

讃岐うどんには讃岐うどんの良さが、武蔵野うどんには武蔵野うどんの良さがあり、それはそれで構わないし、またそれぞれの食文化に高低は付けにくい。しかし歴史的にはみて、大阪は古来食道楽の地と言われ、究極の味を追求してきた日本最高の地帯であった事は事実なのである。讃岐はイリコ出汁系の優れた美味しさをもち、京うどんは鰹出汁の美味しいうどんを創出した。しかし大阪、神戸は両者の端境にあり、両方の良さを巧みに採り入れ、また大輪田泊の時代から全国各地の良いものを流通し、その豊富な食材から究極の味を案出してきた事は事実なのである。

つまり出汁においても鰹や昆布、イリコ、椎茸などの各うま味を巧みに合わせ、その相乗効果を狙った究極の出汁を作り上げたのは正に上方うどんであると断言できる。

しかしこのうま味の相乗効果と言うものはうま味を引き出す究極の方法論ではあるが、中々に単純なものではなく、極めて難しい技術であり、そこには長年の研究蓄積による無数の秘伝が存在した。だから上方うどんが全て美味しいのではなく、當り外れが多く、その秘伝を継承した店が超絶的な味を独占したのである。食する側としては大体何処の店が美味しいと言うそれぞれの情報網があった。神戸に住んでいた頃の我にもそれはあったが、残念ながら今はそれはない。よってこれからこそこのHPを通じてその真実に迫りたいと思うのである。

そして高い目で見ると既に多くの秘伝を継承した名人うどんは既に多くが失伝してしまっており、此処の部分を何とか研究を通じて復活できないかと言うのが今一つの目的である。

 

方法論

前述した如く今は週に一度は神戸入りをしているので、その間に少しづつ探求したいと思う。

その情報源としてネットを利用したいと思うが残念ながら讃岐うどんをレポートしたものが多い。しかしこの点は致し方なく、特に意識して讃岐系を外すことなく、讃岐は讃岐と捉えた上で探求し、その上で上方うどんとの差異を求めてゆきたいと思うのである。

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